まだ8月である。

外に出れば暑いし、気分としてはどう考えても夏だ。

なのに、街を見渡すともう「月見」が始まっている。

KFCでは2026年8月26日から、今年の「とろ〜り月見」シリーズが発売された。

8月26日。

まだ9月にすらなっていない。

今年の中秋の名月は9月25日なので、本当のお月見まではあと1か月くらいある。

……月見、ちょっと早くない?

もう8月も終わりか。でも、まだ夏を味わわせてほしい

月見の商品を見ると、「ああ、もう秋か」と思う。

同時に、

いや、まだ夏なんだけど。

とも思う。

夏がものすごく好きというわけではなくても、「もう8月も終わるのか」と言われると、なんとなく急かされているような気分になる。

もう少し夏を味わわせてほしい。

とはいえ、考えてみれば季節を先取りすること自体は別に珍しくない。

服なんてもっと早い。

まだ暑い時期から秋冬物が並び始めるし、春になる前から春服を売っている。

企業が少し先の季節を見せて、早めに需要を作っていく。

マーケティングとして考えれば、たぶんごく普通のことなんだと思う。

それでも「8月に月見」という言葉には、妙なインパクトがある。

季節って、気温だけで感じているわけじゃない

自分が季節の変化を何で感じているか、あらためて考えてみた。

気温がガラッと変わったとき。

食べ物が変わったとき。

それももちろんある。

でも意外と大きいのが、街の様子だった。

広告が変わる。

お店の商品が変わる。

コンビニに季節限定のお菓子が並ぶ。

そういうものを見て、「あ、もうそんな季節か」と思っている。

一番わかりやすいのは、クリスマスの次の日かもしれない。

12月25日まで街中がサンタクロースとクリスマスツリーだったのに、26日になると突然、

迎春。

昨日まであんなにメリークリスマスだったじゃん。

街の切り替えの速さはすごい。

自然が少しずつ季節を変えていく一方で、街はかなりハッキリと次の季節へ切り替わる。

もしかすると私たちは、自分で思っている以上に、街から季節を教えてもらっているのかもしれない。

「限定」と言われると、やっぱり気になる

そして困ったことに、私は限定に弱い。

月見。

桜。

さつまいも。

クリスマス限定。

期間限定。

そんな言葉を見ると、普通に気になる。

冷静に考えれば、月見バーガーだって卵の入ったバーガーである。

卵は一年中ある。

月も一年中出ている。

なのに「月見」と名前がついて、「今だけです」と言われると食べたくなる。

マーケティングに踊らされている。

それは分かっている。

でも、分かっていて踊るのも楽しくない?

とも思う。

全部の限定商品を冷静に無視して生きるより、「今年も月見の季節か」とちょっとワクワクするくらいのほうが、私は好きだ。

早く始まるから、季節を楽しめるのかもしれない

逆に、月見商品が本当に中秋の名月の直前にしか発売されなかったらどうだろう。

9月下旬に始まって、

月見だ!

と思ったら、

すぐ10月。

今度はハロウィンが来て、その次はクリスマス。

たぶん一瞬で過ぎ去る。

季節を味わう暇がない。

そう考えると、少し早めに始まる季節商品は、単に商品を売るためだけのものでもないのかもしれない。

そろそろ秋ですよ

と少し早く知らせてもらうことで、秋を待つ時間ができる。

月見商品を見て秋を意識して、実際に涼しくなって、本当の十五夜を迎える。

そうやって考えると、季節の先取りは次の季節の予告編みたいなものなのかもしれない。

街に次の楽しみを先に見せてもらっている。

そう思えば、ちょっと早いくらいも悪くない。

季節は自然にやってくるものだけど、今の私たちは、街や商品や広告と一緒に季節をつくっているのかもしれない。

そして今年も、月見を見て秋が始まる。

……とはいえ。

8月26日。

いや、まだ夏じゃない?