何かを買おうと思って、商品を探す。
候補をいくつか見つけて、比較する。
値段を見る。機能を見る。レビューを見る。
するとレビューの中で、知らなかった別の商品が出てくる。
「あ、こっちもいいかも」
また調べる。
気づけば、買い物をする前にちょっと疲れている。
最近、こういうことが増えた気がする。
失敗したくないし、もっといいものがあるかもしれない
なぜこんなに調べるのか。
自分の場合は、わりとはっきりしている。
失敗したくない。
それと、
もっといいものがあるんじゃないか。
せっかくお金を使うなら、あとから「あっちにすればよかった」と思いたくない。
だから比較する。
レビューも見る。
それ自体が悪いわけではない。
実際、ちゃんと調べて良いものを買えたときは満足する。
調べることが役に立たないなら、たぶん簡単にやめられる。
役に立つから、やめにくい。
もう少し見れば、もっと良いものが見つかるかもしれない。
もう一つレビューを読めば、失敗を避けられるかもしれない。
そうやって比較を続けて、
最後には疲れて、
「もう、えいっ」
と決めることがある。
あれだけ慎重に調べていたのに、最後が「えいっ」なのは、ちょっとおかしい。
8割以上が「情報が多すぎる」と感じている
NTTドコモ モバイル社会研究所が2026年8月に公表した調査では、83.1%の人が「今の社会は情報が多すぎる」と感じていた。
情報が多すぎることで「疲労やストレスを感じる」「判断に迷いが生じる」と答えた人はいずれも約7割。「どの選択肢が良いか決められない」も6割程度だったという。調査対象は全国の15〜79歳、7,359人だった。
ここだけ見ると、「みんなスマホを見すぎなのでは」と思う。
でも、そう単純でもないらしい。
同じ調査では、「情報が多すぎる」と感じている人ほどスマートフォンやテレビに触れている時間が長い、という傾向は見られなかった。
問題は、情報に触れている「時間」だけではないのかもしれない。
動画なんて、違ったら変えればいい
買い物なら慎重になるのも分かる。
一度買ったら簡単には変えられないし、お金もかかる。
でも、動画はどうだろう。
YouTubeや動画配信サービスを開いて、
「何見よう」
と探す。
おすすめを眺める。
気になるものをいくつか開く。
また戻る。
でも考えてみれば、動画なんて見始めてつまらなかったら、別のものに変えればいい。
失敗したところで、失うのはせいぜい数分だ。
それなのに、見る前から「なるべく面白いもの」をちゃんと選ぼうとしている。
買い物だけじゃない。
使うサービス。
見る動画。
読む記事。
SNSの投稿。
私たちは、失敗してもほとんど困らないような小さな選択にまで、いつの間にか「できるだけいい答え」を求めるようになっているのかもしれない。
「おすすめ」があっても、選ぶことはなくならなかった
今は、自分で探さなくてもいろいろなものをおすすめしてもらえる。
YouTubeを開けば、おすすめの動画が並ぶ。
Instagramを開けば、おすすめの投稿が流れてくる。
通販サイトにはランキングがあり、レビューがあり、「この商品を見た人はこちらも見ています」がある。
昔より、何かを見つけるのはずっと簡単になった。
でも、選ばなくてよくなったわけではなかった。
おすすめされた10本から、どれを見るか。
流れてきた投稿を、見るか飛ばすか。
レビューを、もう一つ読むか。
ストーリーを、誰の分まで見るか。
一つひとつは、どうでもいいくらい小さな判断だ。
でも、それがずっと続いている。
2026年2月に公表された別の調査では、XやInstagramを毎日使う人でも、週に数回以下の人でも、6〜7割程度が「SNSには情報があふれていて、ついていくのに疲れる」と感じていた。
SNSをたくさん使う人だけの話でもない。
Instagramを開くと、画面の上にストーリーがずらっと溜まっていることがある。
全部見るのは、もうしんどい。
だから今は、気になる人のものだけ見る。
それで特に困っていない。
全部見なくてもいいなら、全部比べなくてもいい
考えてみれば、SNSではもう自然にやっている。
全部は追わない。
気になるものだけ見る。
でも買い物になると、急に全部を比較したくなる。
サービスを選ぶときも、なるべく最適なものを探したくなる。
もしかすると、そっちもInstagramのストーリーくらい適当でいいものがあるのかもしれない。
もちろん、高い買い物や長く使うものなら慎重に選びたい。
何も調べずに決めればいい、という話でもない。
ただ、すべての選択を同じ熱量でちゃんとやる必要はない。
レビューを全部読まなくてもいい。
候補を10個まで増やさなくてもいい。
動画はいったん再生して、違ったら変えればいい。
「もっと良いものがあるかもしれない」を、どこかで終わらせてもいい。
選ばないことを、選んでみる
そう考えていたら、スタジオ スコシナナメで作った「まちまかせ。」や「どこ歩こ」も、少し似たことをしているなと思った。
どこへ行こう。
どこを歩こう。
普通なら検索して、口コミを見て、候補を比べて決めるところを、ときには行き先そのものを偶然に任せてしまう。
もちろん、出てきた場所が「いちばんいい場所」とは限らない。
もっと人気の街もあるかもしれないし、もっと評判のいい散歩コースもあるかもしれない。
でも、選ばなかったからこそ行く場所もある。
自分では選ばなかった道を歩いてみたら、知らない店を見つけるかもしれない。
「いちばんいい」を探すことをやめると、代わりに入ってくるものもある。
いちばんいいものを、選ばなくてもいい。
選択肢が多いことは、たぶんいいことだ。
自分に合うものを探せる。
失敗も減らせる。
昔なら知らなかったものにも出会える。
ただ、選択肢が100個あるからといって、100個を見る義務まではない。
全部を見てから決めなくてもいい。
もっと良いものがある可能性を、毎回最後まで潰さなくてもいい。
選んだあとに、
「まあ、これでよかったな」
と思えれば、それで十分なものも多い。
Instagramのストーリーを全部見なくなったように。
少しくらい、見逃してもいい。
少しくらい、比べ足りなくてもいい。
いちばんいいものを、毎回ちゃんと選ばなくてもいい。
そのくらいのほうが、今はちょうどいい気がしている。
