最近、AIと一緒にアプリを作ることがかなり増えた。
企画を考えて、仕様を伝えて、実装してもらう。
しばらくすると、ひとまず動くものができあがる。
以前なら、ここまで来るだけでもかなり時間がかかっていたと思う。
でも今は、驚くくらい速い。
そして一旦完成したアプリを、自分で触ってみる。
すると、よくある。
「なんか違うな。」
致命的なバグがあるわけでもない。
ちゃんと動いている。
見た目も、それなりに整っている。
でも、そのまま公開する気にはならない。
何が違うのか、最初からきれいに説明できるわけでもない。
実際に触りながら、
ここが分かりづらいのかもしれない。
この順番が違うのかもしれない。
これはいらないかもしれない。
そもそも、この見せ方じゃないのかもしれない。
そんなふうに、「なんか違う」を少しずつ言葉にしていく。
そしてまたAIに伝えて、直してもらう。
最近この作業を繰り返していて、ふと思った。
自分、ずっとディレクションしてるな、と。
AIに作ってもらっている、だけではなかった
AIを使った制作というと、
「どんなプロンプトを書けば、いいものを作ってもらえるか」
という話になりやすい。
もちろん、プロンプトは大事だと思う。
何を作りたいのか。
誰に使ってほしいのか。
どんな条件を守ってほしいのか。
それをきちんと伝えられた方が、最初に出てくるものの精度は上がる。
でも、実際にものを作り続けていると、それだけでは足りないとも感じる。
AIが出してきたものを見て、
「これでいいのか」
を判断しなければいけない。
AIは、かなりそれっぽいものを出してくれる。
だからこそ、そのまま受け取ろうと思えば受け取れてしまう。
動く。
整っている。
説明もできている。
完成っぽく見える。
でも、自分の中では公開できない。
そこで「まあ、これでいいか」とするのか。
それとも「いや、違う」と言えるのか。
この差は思っていたより大きい。
判断する回数は、むしろ増えた
以前、自分はWebディレクターをやっていた。
その頃に、
要件を整理したり、
優先順位を決めたり、
ユーザー目線で確認したり、
制作物を見て修正の方向を決めたり、
どこを完成とするか判断したり、
そういうことをたくさんやっていた。
今振り返ると、その経験がかなりAIとの制作に効いている気がする。
もちろん、AIと作るようになってから鍛えられた部分もある。
ただ、その土台にあるのはWebディレクター時代に身についたものなのだと思う。
人にお願いしていた制作が、AIになった。
そう考えると、やっていることは意外と似ている。
ただ、大きく違うのはスピードだ。
AIに伝える。
出てくる。
確認する。
修正する。
また出てくる。
このサイクルが、とにかく速い。
制作が速くなったら、人間側の仕事は減るのかと思っていた。
実際は、少し違った。
判断する回数が、めちゃくちゃ増えた。
作れるものが増えると、判断するものも増える
しかも最近は、アプリだけを作っているわけではない。
記事を書いたり、
noteを書いたり、
SNSの投稿を考えたり、
キャラクターやIPのことを考えたり。
AIがいることで、以前なら同時には進められなかった数のプロジェクトを動かせるようになった。
これはかなり楽しい。
思いついたものを、すぐ形にできる。
昨日まで頭の中にしかなかったものが、今日には動いていることもある。
一方で、たまに全部ごちゃごちゃになる。
何の仕様を話していたのか、ではない。
そもそも今、どのプロジェクトの話をしていたんだっけ、となる。
AIで制作が速くなったことで、ひとつの制作物を管理する力だけではなく、
複数の企画を持って、
それぞれをどこへ進めるのか考える力も必要になってきた。
これも、広い意味ではディレクションなのかもしれない。
AIは、道具というより同じチームに近い
今の自分にとって、AIは「便利な制作ツール」という感覚から少し変わってきている。
一緒のチームにいる感じに近い。
自分だけでは作れないものも作ってくれる。
知らないことも調べてくれる。
案も出してくれる。
実装も文章も画像も、一緒に進められる。
だから「AIに作らせて、自分は指示するだけ」ともあまり思っていない。
一緒に制作している感覚がある。
ただ、舵は自分が持っている。
何を作るか。
誰のために作るか。
どこを大事にするか。
何をやめるか。
どこまで直すか。
そして、最終的に公開するか。
そこは自分が決める。
AIだって企画案はいくらでも出せる。
でも、その中から「これはやる」「これはやらない」を決めるところまで渡してしまったら、少し違う気がする。
AIの手のひらの上には乗らない
AIを使ううえで、最近なんとなく意識していることがある。
うまく言葉にするのは難しいけれど、
AIを自分の手の上には乗せておきたい。
逆に、AIの手のひらの上には乗りたくない。
AIが出したものに合わせて、
自分の「これがいい」が少しずつ薄くなっていく。
AIが勧めたからやる。
AIがこれで完成と言ったから完成にする。
AIがこの方がいいと言ったから、なんとなくそうする。
それが続いた先では、自分がなくなっていくような気がする。
別に大げさな信念を持っているわけではない。
自分の中の「芯」といっても、
自分が使いたくなるか。
自分が納得しているか。
そのくらいだったりする。
でも、その小さな感覚を無視しないことは、これから結構大事なのかもしれない。
「作れる」の意味が変わっていく
AI時代にディレクション能力が一番大事だ、とまで言い切るつもりはない。
ものによって必要な能力は違うし、専門的に作れる人の力が必要なくなるとも思っていない。
プロンプトを書く力だって、もちろん重要だ。
ただ、自分がAIと毎日のようにものを作っていて感じるのは、
「作る力」の中身が少し変わってきている、ということだ。
自分の手ですべて完成させられることだけが、「作れる」ではなくなる。
何を作るかを考える。
AIと一緒に形にする。
出てきたものを鵜呑みにせず、自分で触る。
「なんか違う」を見逃さない。
それを言葉にして、もう一度直す。
そして最後に、自分が納得できるところまで連れていく。
そう考えると、
AI時代に必要になっているのは、新しい制作ツールを使いこなす力だけではなく、
作るものの方向を決め続ける力なのかもしれない。
それを昔からある言葉で呼ぶなら、
たぶん、ディレクション能力なんだと思う。
