好きな世界に、いつか入れなくなる。

PUBGにかなりハマっていた時期がある。

毎日のように遊んでいた。

少しずつ上達していく感じも楽しかった。

うまくいった日はうれしいし、全然ダメな日は悔しい。

そういう日々を繰り返しているうちに、PUBGはただのゲームというより、自分の中にある世界のひとつみたいになっていた。

そんなとき、ふと思ったことがある。

もし、このゲームがいつかサービス終了したらどうしよう。

念のため最初に書いておくと、PUBGにサービス終了の予定が発表されている、という話ではない。

むしろPUBG公式は2026年3月に「PUBG:BATTLEGROUNDS 2026ロードマップ」を公開していて、2026年のさまざまな開発計画を発表している。

そこでは、2027年のPUBG10周年を目標としていたサービス計画の一部を調整していることや、2026年以降もコンソール体験向上の取り組みを継続していくことなども説明されている。

だから、これはPUBGに何か終了の兆候があって心配した、という話ではない。

完全に、自分が勝手に想像しただけだ。

「オンラインゲームって、いつか終わる可能性があるんだよな」

と。

それなのに、思ったより怖かった。

出典:PUBG公式「PUBG:BATTLEGROUNDS 2026ロードマップ」

遊べなくなることより、入れなくなること

もちろん、遊べなくなるのは寂しい。

毎日の楽しみがひとつ減る。

上達してきた感覚も、その先には続かなくなる。

でも、自分が一番寂しいと思ったのは、そこじゃなかった。

PUBGという世界そのものに、もう入れなくなることだった。

ゲームを起動する。

ロビーに入る。

マップに降りる。

銃声が聞こえる。

今日はどこに降りようか考える。

そういう一連のもの全部が、自分にとってはその世界に入るための入口だった。

ただ遊んでいただけなのに、気づけばそこには自分なりの時間が積み重なっていた。

ゲームの世界が、ずっと続くとは限らない

すべてのオンラインゲームが、すぐになくなるわけではない。

何年も、何十年も続いているゲームもある。

ただ一方で、ゲームのサービス終了そのものは珍しい出来事でもなくなっている。

帝国データバンクが2026年8月に公表した調査では、スマートフォン向けゲームを開発・運営する事業者の倒産は、2026年1月から7月までで10件確認された。

前年1年間の3件をすでに大きく上回り、過去最多だった2015年の12件を上回るペースだという。

もちろん、ここは分けて考える必要がある。

ゲーム会社の倒産件数と、ゲームのサービス終了件数は同じではない。

この数字から、PUBGを含む特定のゲームが終了すると言えるわけでもない。

ただ、

私たちがひとつの「世界」として遊んでいるものも、その裏側では誰かが開発し、サーバーを動かし、更新し続けることで存在している。

世界がそこにあり続けること自体に、運営が必要なのだ。

出典:帝国データバンク「『スマホゲーム事業者』の倒産動向(2026年1-7月)」

オンラインゲームは、自分のものじゃない

少し不思議なのは、どれだけ長く遊んでも、その世界そのものを自分では残せないことだ。

何百時間遊んでも。

どれだけ上手くなっても。

毎日の習慣になっても。

そこに入れるかどうかは、自分では決められない。

運営が続けば入れる。

サービスが終われば、基本的には入れない。

もちろん、スクリーンショットは残せる。

動画も残せる。

思い出も残る。

でも、

「その世界にもう一度入ること」

はできなくなる。

これは、手元に残る買い切りのゲームとは少し違う寂しさだと思う。

何年か経って、ふと懐かしくなったとき。

ゲームを起動する。

昔歩いた場所へ戻る。

「ああ、ここだったな」と思う。

オンラインゲームでは、そんなことができなくなる場合がある。

その世界にどれだけ思い入れがあっても、

世界そのものを残す権利は、自分にはない。

好きになればなるほど、そのことが少し不思議に感じる。

思い出じゃなく、場所がなくなる

ゲームのサービス終了というと、

「課金したデータが消える」

「キャラクターが使えなくなる」

「もう遊べない」

みたいな話になりやすい。

でも、自分の感覚としては、

思い出の場所そのものがなくなる

に近い。

昔よく行っていた店が閉店する感じにも少し似ている。

写真は残る。

何を食べたかも覚えている。

誰と行ったかも思い出せる。

でも、その店にはもう行けない。

ゲームも同じで、

「そこにいた記憶」は残るのに、

「そこに行くこと」はできなくなる。

だから寂しい。

自分の中の世界がひとつ減る

PUBGにハマっていた頃、自分の生活の中には、現実とは別にもうひとつ世界があった。

毎日の楽しみだった。

今日はうまくできるかなと思う。

少しずつ上手くなる。

昨日よりできることが増える。

何度も同じ場所へ降りているうちに、地形を覚える。

音を聞いただけで、なんとなく状況が分かるようになる。

その世界に少しずつ慣れていく。

そして気づけば、

ゲームをしているというより、

そこへ行く

という感覚に近くなっていた。

だから、もしそこに入れなくなったら、

単にゲーム一本が遊べなくなるだけじゃない気がした。

自分の生活の中にあった入口が、ひとつ閉じる。

たぶん、自分が怖かったのはそれだった。

デジタルの世界は、残っているようで残らない

デジタルのものは、ずっと残りそうに見える。

データだから消えない。

インターネットにあるから、いつでも触れられる。

なんとなく、そんな感覚がある。

でも実際には、

サービスが終われば入れなくなる。

サーバーがなくなれば動かなくなる。

運営が止まれば、その世界への入口は閉じる。

物理的なものより、むしろ突然触れられなくなることもある。

そして、その世界にどれだけ思い入れがあっても、

自分だけでは残せない。

そこが、少し切ない。

好きな世界に、いつか入れなくなる。

ゲームのサービス終了のニュースを見ると、少し気になる。

自分が遊んだことのないゲームでも、

そこに毎日入っていた人がいたんだろうなと思う。

誰かにとっては、

ただゲーム一本が終わるだけではないのかもしれない。

日課がひとつなくなる。

毎日の楽しみがひとつなくなる。

自分の中にあった世界への入口が閉じる。

スクリーンショットも、

動画も、

そこで過ごした記憶も残る。

でも、

その世界そのものには、もう入れない。

たぶんサービス終了が寂しいのは、

遊べなくなるからだけじゃない。

好きだった場所に、もう行けなくなるからなんだと思う。